問いストーリー

日常を読むように、書く。思いのままに、好きなだけ。

日常にあるもの

旅に出てからはもちろんのこと、
高校から親元を離れて寮生活をしていた僕は実家で家族を食事と取ることなどほとんどなくなってしまった。
高校を卒業し大学3年生になる今も、
実家から離れた宮崎市内にあるシェアハウスで生活をしている。


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母子家庭で経済的に裕福とは言えない環境で育った僕たち家族は、湯豆腐が入った鍋を母と3つ年上の姉とでよく食卓を囲んでいた。
僕にとってその時間というものは何気ない日常の一コマであって、特別なものではなく当たり前だった。



うちのお母さんは「小さな楽しみ」を大事にするような人で、毎晩のように姉と僕に「今日楽しいことあった?」と質問をしてきた。


夜ご飯の買い出しに付き合うと3件はしごする理由が牛乳の価格の僅差だったことも、余裕がなく質素な夜ご飯になっていることも知っていた僕は子供ながらに家族に気を遣い、その日の小学校や野球の練習中での出来事、時には稚拙な作り話を面白おかしく話していたことをはっきりと覚えている。


そんな何気ない母からの質問のおかげで日常の中に楽しさを見つけようとする今の僕の性格が形成されたのだと、最近になって気がついた。



オリオン座が見える季節になるとサンタさんにお願いを始める僕と姉に、
「今年はどんなプレゼントかな〜?」
「本当にちゃんと来るのかな〜?」なんて笑っていたが、
起きて枕元に手を伸ばすと毎年ちゃんとお願いしていたプレゼントが置いてあった。





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[2016.11.18 札幌駅]




僕たちには見せない苦労や、葛藤があったに違いない。
それでもそんな素ぶりを一切見せず、裕福とは言えないがごく一般的な生活をさせてくれた。
この家族が、今でも笑いが絶えずに家族円満のど真ん中にいるのは母のおかげに、他ならない。



「毎日に大きな楽しみいらんと。高級レストラン行くとかいいもん食べるとか。
あんた達が元気とか、たまにみんなで居酒屋行けるとか。それだけで満足よ。」
と、母の口の紐が緩むのはいつも2本目の缶ビールを飲み干して、すぐだった。




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旅の途中である僕の毎日は、そんなに楽なものではない。
今は、北海道で乳牛を営む酪農家さんの元でお世話になっている。
食事や風呂など生活は保証されているが、毎日途中休憩を挟みながらだが、5時から18時までの作業にはやはりは辛いものがある。


でも、そんな中にも大自然でゆっくり呼吸できたり、地平線から地平線までギッシリに広がる星を眺めることができたり、地元の友達や家族や自分のことをぼんやり考えている時間があったり。母から言わせれば、それだけあれば満ち足りているだ。




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この世に「特別なこと」いらないのもしれない。
小学生の時に家族3人で囲んだ湯豆腐鍋とか、毎年枕元にしっかり置かれていたサンタからのプレゼントとか。
そういう小さな幸せの方が鮮明に記憶に残っているくらいだから。





そういう日常に散りばめられた、ほんの少しの気遣い、ほんの小さな幸せ。
そういうものの方がずっと価値があるんじゃないだろうか。
色濃くは映らない日常の機微に目を凝らしながら、
いつまでも、日常にある幸せに気づける人間でありたいな。








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